2011/09/04

満中陰の法要

お供えの傘餅

大型の台風がくる中、里の親戚の四十九日の法事に参加した。

五月の連休の後に死んだおばちゃんの四十九日の法要を済ませた後、慌てて後を追って行ったおっちゃんの満中陰。

朝の九時からお寺さんが来る。
おっちゃんとおばちゃんが、心から大切にしていたお寺の和尚さまが全ての法要にいらっしゃる。
又、この和尚様、ゆうえいが小学校の頃から親友だった佳子ちゃんのお兄ちゃん。
おっちゃん、おばちゃんの死を心から悲しんで下さる。

三仏教(漢字、あってるかどうかわからない。)を唱えてもらうために午前九時スタート。
2時間半くらいかかる。

嫁ぐまで、しょっちゅう遊びに行っていた家

法然さんの像の額
昭和天皇夫妻の写真が掲げられている。
亡くなった人の写真が並んでいる。

田舎の古い家はクーラーがない。
障子を開け放つと自然のクーラーが心地よい。

三仏教以外は、お参りに来た親戚全員が声に出してお経を詠う。
みんな家族の誰かが死んだ後、家で唱えられるので覚えている。

通夜でも葬儀でも和尚と一緒に大きな声で唱える。

この姿を見ていると、大乗仏教の教えをそのまま自然に実行していると感じる。

死んでいることも、生きていることも、皆同じという感じがする。

追善のための食事を料理屋でいただく。

全員お酒が大好き。
釈迦も、孔子も、お勤めの時の大切なものに、酒、踊り、歌うことをあげていた。
勝手な解釈とは思うが、哀しい気持ちを全員秘め、笑いながら酒をいただき、お経を謳う(うたう)。

大変な盛り上がりをみせた食事が終わり、もう一度、御詠歌をあげるために家に戻る。


誰ひとり帰ることなく皆でお経をあげる。

誰からともなく和讃もあげる。

なんとなく一緒に謳える。

その間、若い人達と言われる女性群がお供えした品を参加した家の数分に分ける。

妹達は慣れたもの。


傘餅の一番上の部分を人型に切り、
自分の弱いところ部分をいただく。

丸いのは数珠
長いのは杖。

杖を取ったウルちゃんが
「パターが上手になるように。」と杖の部分を少し分けてくれる。

そして「南無阿弥陀仏阿弥陀仏」と十回唱えて終わった。

お昼の食事の時間をはずして約六時間、お経をあげていた。

宗教とか信仰とかではなく、
「いろはのい」以前の話である。

その家の子供たちも走り回っていた孫たちも自然にこういう事を覚えていく。

もちろん、死んだおっちゃん、おばちゃん、そこの家の人達の常々の生き方が、
こんな集まりが自然にできる第一の要因である。