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2013/09/19

「ポーランド旅紀行」・・・。ユーチューブにあげちゃいました。


危険!フルサイズにすると爆発します!!!



ああ、爆発しません。ごめんなさい。
作業の途中、サイズが小さくなってしまい、
フルサイズにすると、
ボケているのがよくわかります。

爆発しませんので、▶印をクリックしてください。


2013/09/10

「ポーランド旅紀行」・・・。これでもか的統括。そして御託。そして謝謝。



ポーランド8日間
ユーラシア旅行社
添乗員 伊藤三智夫様

参加者23名 内男性12名 女性11名
一人参加14名
姉妹 2組
友人 1組(2人)
父・母・娘 1組
父・娘 1組

最高齢8?歳 男性 秋田から一人参加
平均年齢多分50歳

2013年8月25日22時30分成田国際空港 発
カタール空港
ドーハ空港乗り継ぎ
2013年8月26日13時35分ワルシャワ空港着



8月26日
ワルシャワ空港~チェンストハーバー~クラコフ 
バス移動
『ヤスナ・グラ僧院』他
クラコフ ノボテルホテル

8月27日
クラコフ滞在 『ヴェリチカ岩塩抗』『ヴァヴェル城』『ユダヤ地区』他
バス移動
クラコフ ノボテルホテル

8月28日
クラコフ~『アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所』~クラコフ
バス移動

クラコフ~グダニスク
夜行列車移動
車中泊

8月29日
グダニスク着 グダニスク湾ミニクルーズ
『オリーバ―大聖堂』
『シフィエンティ・ブリギティ教会』『グダニスク造船場』他
グダニスク メルキュール・ステア・ミアストホテル

8月30日
グダニスク~マルボルク
『マルボルク城』
バス移動
マルボルク~トルン
バス移動
『コペルニクス生誕地』他
トルン~ワルシャワ
バス移動
ワルシャワ ノボテルホテル

8月31日ワルシャワ郊外のジェラゾバ・ボーラ
『ショパン生家』
バス移動
その後
『歴史地区』『聖十字架教会』『ワジェンキ公園』他

ワルシャワ空港 16時50分発
ドーハ空港
9月1日17時50分成田国際空港着

日程を綴っていてつくづく強行軍だったと思う。
初めてのツアー旅行が、こんなに内容の濃いものだと、あとが恐ろしい。

ゆうえいは、添乗員の言葉とカメラばかりに頼っていたが、
全て文字で書いていた女性がいらした。
それから、カメラは使わず、全てスケッチしていらした女性。
かっこ良かった。
記憶に残す、誰かに伝える。
その手段は色々あるだろう。
詩に残せる人、短歌とか俳句とか川柳とかで、記憶に残したり、人に伝えたりできる人、絵が描ける人、本当に憧れる。
いくつか挑戦したが、全く駄目。
しかし、人の手腕によるものが良い。
そうか。ここまで書いていてわかった。
難攻不落のシグマDP2。
何で、こんな撮りにくいカメラが好きなのか。
そうやん。少しは、自分の手が作用するカメラが良いのだ。
100枚に一枚でも絵を描くように撮れたらば、シャッターを押すだけで綺麗に撮れるより、ゆうえいには嬉しい事なのだ。
何でか自分でもわからなかったけれど、腑に落ちた。
良かった。

今回1,000枚は撮ったけど、、、修行中です!

しばらくぶりに我が家に帰ったら、主婦フフフが9日間も家をあけていたとは思えない様子だった。
シメシメである。
又行ける。
旅行前は、旅行費用のプレゼントは今回が最後、というような気配をみせていた家人が、あまりのゆうえいのご機嫌の良さに、どうやら次回も優しさを見せてくれる様子。
次回は
「フィンランドへ行きたいの。」
先に言います。
「ありがとう!」
もう少しで驚きの還暦を迎える家人が、
「仕事、やめたーい。」と、しょっちゅう叫んでいるけれど、
働いてください。頼みます。

自分の記録用にと長々と旅行記を書きました。
たくさんの方が読んで下さっています。
その方たちには、
「ごめんなさい。げっぷが出ましたやろ。」と、平に謝ります。

これにて一件落着でございます。


トルンの街
メイン通りから外れた坂道

2013/09/09

「ポーランド旅紀行」・・・。最終日は、ショパン。


ショパンが滞在していた家の庭。

前日、ポーランドでの最後のホテルはワルシャワノボテル。
トルンから2時間かけて到着。

勿論すぐにレストランへ直行。

ツアー仲間のお二人がバースディ。
旅行社からのケーキが用意されていました。

お一人は、姉妹で参加されていました。
喜寿だそうです。

破顔。
満面のはじけた笑顔。
素敵でした。

お一人は、36歳の背の高い男性。
ツアーが始まってすぐから、おばちゃま女性軍は
「大輔くん、大輔くん。」と。
物静かで、優しいナイスガイ。
飲めないのが少々物足らなかったけれど。

 全員でハッピバースデイの歌を歌いました。
ケーキが最高に美味しかった。
食事の前に出して欲しかったな。
何でかって?
ご想像の通り。


ショパンの家の一部屋

前日、トルンからの帰り道、バスの中で伊藤添乗員が、
フジコ・ヘミングが弾くショパンのCDをかけてくれました。
ちなみに伊藤添乗員は、「雨だれ」が一番好きだそうです。
旅行者たちの子守唄になったのは言うまでもありません。

≪ショパン≫
幼いころから、独学でピアノ演奏の技術を身に付けた。
バッハ、ヘンデル、モーツアルトのテキストに用い、この3人の偉大な音楽家に対する尊敬は終生変わらなかった。
ポーランドを愛した彼ではあったが、幾度かの政変で、
研鑽を積むために出国した先から一度もポーランドに戻らなかった。
一度は、世界からポーランドという国は消えてしまったり、分裂されて、他国に属されたりしたが、
ショパンは、再びポーランドが独立国家になるのが夢だった。
彼の詩情は、彼一人のものではなくポーランド国民全てのもの。
ショパンは、愛国者として闘い、そして死んだ。
ショパンは、生きてポーランドへ帰らなかったが、ショパンの心臓は、聖十字架教会に埋葬された。


Hirokoさん、9月末来阪されます。
たこ焼き食べます。


ショパンの住んでいた家のカーテン。

ショパンがこんな運命を辿っていたなんて、、、。

ショパンの曲から、とてもロマンチックな人生を送った人と思っていた。
女流作家ジョルジュ・サンドと熱烈な恋愛をしている。
良かったなあ。大恋愛してくれていて。

ショパンの住んだ家の庭はイングリッシュガーデンのような感じでした。
大きな樹木も一杯だけれど、地面を這う小さい花もいっぱい。

この後、聖十字架教会でショパンの心臓に挨拶をして、
ワジェンキ公園でショパンの像をみて、
ワルシャワ空港へ向かった。

ワジェンキ公園

「ポーランド旅紀行」・・・。コペルニクスの街 トルンへ。


ヴィスワ川にバスが停まり、この道を横切って、
もう少し左手のあたりからトルンの街へ。
すぐにレストランで昼食を与えられた。
午後3時のランチ。

マルボルク城を出てバスに乗った時、
伊藤添乗員が、

「今日もランチが遅くなりすいません。」

と言いながら、ジンジャークッキーを配ってくれた。


前にも載せた写真。

「ショパンも食べたと言われるお菓子です。」

旅行客が喜ぶ一言も忘れない。

ポーランドの街を走っていると、度々、ヴィスワ川が流れている。
マルボルク城の周りを流れていたのもヴィスワ川。
トルンの街もヴィスワ川を渡ってきた。

かつて首都だったクラコフから、現在の首都ワルシャワ、トルン、グダニスクでバルト海に注いでいる。
広くて、水量たっぷりで、ゆうゆうと流れている。
まさに、ポーランドを暖かく包んでいる感じかな。


カエルとヴァイオリン弾きの噴水。

かつて、トルンの街にカエルが大発生。
ヴァイオリン弾きが誘導して街の外に連れ出したと言われる。


ゆうえい、トルンが好き。


贅沢なステンドグラスの窓
ゆうえいは、そう思います。


この窓は、2枚ともコペルニクスの生家から。


聖マリア教会


民族衣装を着た女性

トルンからバスにて、ひたすらワルシャワを目指す。

次の日は帰る日。

2013/09/08

「ポーランド旅紀行」・・・。ドイツ騎士団の拠点 マルボルク城へ。

゜

現有する城としては欧州最大のマルボルク城。


ユーラシア旅行社の、なかなかやるなあ、の一つに、
出発時刻の一時間ほど前に、近辺を散策することだ。


この日もマルボルク城へ出発する前に、
グダニスクの目抜き通りとか、ネプチューンの噴水とか・・・。


昨夜、この先の琥珀のお店で琥珀を買った。

ツアー客がほぼみんな、ガイドのお姉さんに
「貴女がしている琥珀のペンダントはどこで買えるのか?」
と、聞いた。凄い勢いで。

急遽レストランでの食事の前までの時間、
琥珀を見に行きたい人は、
ガイドさんに連れて行ってもらえることになった。
後の人はホテルで休憩。

琥珀って化石。大人の女性にしか似合わないと思う。
反論には知らんぷりさせていただきます。


ゆうえいゲット。
アクセサリーを買うって嬉しい!


マルボルク城に話はもどそう。

入り口

中庭にあるペリカン像の井戸。

オリジナルで残っている。
天国へ行く人と、地獄へ行く人をイエスが分けているところらしい。
そんなことはない。


マルボルク城も他と違わず空爆の跡のほとんどが修復されている。

しかし、上の写真の礼拝堂は、
このままにしようか、修復しようか、
お悩み中だそうだ。

「出来たら・・・。」
(このままおいといてぇ。)

2013/09/07

「ポーランド旅紀行」・・・。グダニスク。「連帯」~ミニクルーズ。



グダンスク造船所

クラコフを出発してアウシュヴィツを見学。
夜行列車でグダニスクへ。
バスで、今宵のホテルメルキュールへ。
荷物を置き、トイレを借りる。
(伊藤添乗員は、各トイレを前に、必ず、全員、トイレへ行くこと。と命令。)
ここから徒歩で、シフィエンティ ブリキット教会へ。


シフィエンティ ブリキット教会。

ポーランド民主化に重要な役割を果たした連帯。


ここでも伊藤添乗員は力強く語られた。しかし、、、。
この時間、事の他ボーとしていて説明が腹に落ちていない。
点。点。点。
後一週間ほどしたら線になると思う。


ここから徒歩で、グダニスク湾のクルーズへ。


グダニスク湾ミニクルーズ。

白いキャップ、白いあごひげの男性はガイドさん。
歌も歌ってくれました。

左に写っているお譲さんはツアー仲間。
御両親と参加。
旅行の事を一番に考えて生活しているとのこと。
家族が同じ方向を向いて生活しているって良いなあ。
素敵な旦那様が、可愛い奥様に、
バルト海特産の琥珀のペンダントをプレゼントされました。
それも凄いのを。
NICE MEMORY!

2013/09/06

「ポーランド旅紀行」・・・。ヴァヴェル城でダ・ヴィンチの「はくてんを抱く貴婦人」を観た。


クラコフにあるヴァヴェル城

成田からドーハを経由ワルシャワに到着。
そこからバスでクラコフへ。

途中、チェンストホーバーにある、ヤスナゴラ修道院で頬に傷があるマリアのイコンを観る。
毎年イコンカバーが寄進され、今年はダイヤのイコンカバー。
次の日は、ヴェリチカ塩坑へ。
翌日は、筋肉痛でまともに歩けないくらい歩かされた歩いた。
しかし、大バカであるゆうえいは、この二つの大きな訪問地の写真を全て喪失。ホテルでカメラを触っていたら消えてしまった。


ヴァヴェル城

歴代のポーランド王が、戴冠式を全てここで行った。

凄いことが待っていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「はくてんを抱く貴婦人」が、
いつも展示している美術館が改装中ということで、
ここに特別展示されていた。

小さい部屋に展示されていて、
私たちはたっぷりの時間をここで過ごした。
ゆうえいなんぞは、絵の前に座り込んで観た。
日本でだったら考えられない。
手で触れる近さ、低い位置。

「ダ・ヴィンチって凄いね。」

「こっちから観てごらん。」

「この角度凄いね。」

「下から観たら益々立体的。」

こういう会話をしながら贅沢な時間を過ごした。

強行軍のユーラシアのツアーは、
こういうところでは時間をたっぷり取ってくれていた。

「やるやん。」

ホテルはクラコフのノボテルホテルに連泊。


2013/09/05

「ポーランド旅紀行」・・・。アウシュヴィッツの事。脳が冷めたらいつか又。


「ALBEIT MACHT FREI」
働けば自由になる。

収容所の入口に掲げられてある。


いつにも増しての熱い説明。
伊藤添乗員の腹からの思いが伝わる。


誰もここで殺されるとは
思っていなかった。
だから皿もカップも
気にいったものを持ってきた。


トランクにも、靴にもブラシにも
名前、住所を書いた。
誰もここで殺されるとは思っていなかったから。


同胞が同胞を監視する。
下を向いて、弱弱しい声で命令する。
収容された人々の中に上下関係を作る、という魂を犯すやり方。

伊藤さん。
多数、無数の小さい靴を指して
「これを履いていた子供たちがいたんです。」


伊藤さんから、アウシュヴィッツ博物館の説明書にはない事を、
たくさん教えて貰った。

ここが見たいとポーランドに来たのに
途中から、多くの写真が撮れなくなった。

ガス室も、焼却所も、処刑場所の死の壁も。
餓死室も、立ったままでずっといないといけない拷問部屋も。

全部見られます。

すごい量の刈られた髪の毛も。
それで作られたシ―ツも。

全部写真で撮ることができます。



伊藤さん。「ここで亡くなった方の親族の方が、
写真の前で、祈られていることもあります。」


あああ、、、本当に実際にあったことなんや。


幼き頃、「アンネの日記」を読んでから、
ずぅっと、消えては現れ、現れては消えていた場所。

テレビや映像や写真。
その薄い輪郭だけは見たことがあったけれど。

今、少しの少しづつ、チルチルと身体の中に入ってくる。
あちらからと思えばこちらから、、、。

どういうように整理していけば良いのか。

頭の中に、小見出しをつけて箇条書き?にすれば
すっきりするかも。

身体を10個くらいに分割して、
そこへガシャンガシャンと入れていくか。






幼き頃、可哀想な女の子が出てくる本は皆好きだった。
そんな夢見る夢子が、目の当たりにした光景は、
心の中にかなりの重さで入った。

しかし、その光景は平和の中で見るそれである。

戦争を知らない。
でも、戦争を体験した人たちが近くにいっぱいいる。
せっかく、このギリギリの時代に生まれたのだから、
傷跡を見ておきたい。
目に見えない傷跡も見ておきたい。


収容されていた人が描いた絵。
監視は星型のワッペンを貼っているユダヤ人。

アウシュヴィッツは、ドイツ人がつけた名前で、ポーランド人は嫌っている。
オシフィエンチムとポーランドの人はよぶ。

2013/09/04

「ポーランド旅紀行」・・・。仲良しになったHirokoさん。それから~。


街から街への移動のバスの中から。

ポーランドは、平原の民の意を持つポラニエ人から
きていることからもわかるように、
このような草原が多く見られた。
土地の形状からか風車が多々。

初めて一人でツアーに参加。
と、いうか、ツアー旅行初めて。

一人と言う不安は全くなく、ボケーッと一人でいられることを楽しみにしていたくらい。

成田から、一人でいるゆうえいの事を気にかけていてくれた女性がいました。

目の端に入れてくれているなと感じてた。


Hirokoさん。
ショパンの生誕の家で。

多分同じ年代。
イラン人の御主人。

Hirokoさん、小さい頃からリューマチを患っていて、
今も、闘っています。

英語がペラペラ。
一人でいる人を見つけては、誰にでも声をかけられる。

ゆうえいには出来ない。


気にかけてくれたおかげで、すぐにいろんな方たちと話すことができました。
もともと賑やかなゆうえいのこと、関西のオバハンの地が出てしまいました。あああ・・・。

Hirokoちゃん。尊敬します。

「ありがとう。」


グダニスクの街。

グダニスクも又戦火によって90パーセントが焦土と化した。
戦後市民が一丸となって復元。
ユーラシア旅行社が、夜行列車を使ってでも見せたかった街。


クラコフから夜行列車でグダニスクへ。

夜行列車は、きつかった。
夜中に乗って、次の日の昼間着。

ランチはサンドウィッチのお弁当。
それに車掌が入れた暖かい紅茶。

楽しかったワン。

Hirokoさんと、
30代のそれはそれは美しい叶姉妹の妹のようなNaomiちゃんの
3人が同じコンパートメントでした。

せまい部屋の中で、3段ベットが2列あって、
大きな荷物があるので、動くのも困難。
そんな中、さっさと寝るところを用意してくれたり、
楽にすわれるようにしてくれたり。

「はいはい。そこのけて下さい。」

Masumiちゃんを思い出しました。

本当によく似ている。
体型は違うけれど。

改めて遠い空から
「ありがとう。」って感謝しました。

上の写真は、Naomiちゃんが、
「あごひいて。」
「目線はここです。」
とか言いながら撮ってくれた写真。

Naomiちゃん。たいていは一人でいる。
それが楽しそう。

そう。今回のツアーは、ほとんどの方が一人参加。
上手に間をとっている。

旅も、生活も、一人で出来る人と一緒が良い。

群れない。


あちらこちらで、こういうカップルに遭遇。
綺麗なシチュエーションで撮った写真でアルバムを作るんだそうです。

路地に入ってもこういう景色。


多分、聖マリア教会。
グダニスク。

「ポーランド旅紀行」・・・。ユーラシア旅行社の事。添乗員の伊藤さんの事。


「柳の下のショパン」の前で。
ワルシャワ ワジェンキ公園。

添乗員の伊藤さん。

今回パソコンで偶然探し当てたユーラシア旅行社。

ポーランドへ行くツアーが少ないことや、日程やらを考えて決めました。

旅行代金プラス特別価格で、カタール航空のビジネスを使えると言う事も大きな魅力。
贅沢したおかげで、飛行機は随分楽チンチン。

それに、お土産屋さんには一切立ち寄らない。

全て旅行代金に組み込まれているので、後はお金はかからない。
と言いましても、アルコール代金は別途。あたりまえかあ。

だがしかし、ワルシャワに降り立った時からは、
鬼軍曹のような添乗員の伊藤さんのハードなスケジュール。
慣れない集団活動。
「帰りたーい!」と3日目には叫んでおりました。

しかし、この添乗員の伊藤さん、至れり尽くせり、話し方で博識、上等がすぐにわかりました。

「一緒に写真良いですか?」と聞くと、

「勿論です。」

こういう返事をしてくれるとホッとします。
いつもこんな話し方をされます。

しかも、行った先々の街の歴史とか、何を食べたとか、細かく手書きで書いて、ホテルの部屋のドアのところに挟んでくれました。
これには感激。

ディナーが遅くなるからと、
何度かバスの中でおやつを配ってくださった。


ショパンも食べたというジンジャークッキー。
これもその一つ。

美味しかったです。



  ゆうえい。旅の二日目、迷子になりました。




これが欲しかった。

それも専門店で。

ほんの少しの自由時間に、一人でクラコフの街を探して、
ラッキーにも専門店を見つけました。

おみやげさんには必ずあるというものだけれど、
そんなの絶対イヤ―!

いつもなら半日は座り込むところを、15分ほどで決め、
ルンルンで夕刻の綺麗な空をシグマでのぞきながら、
それでも早足でレストランに向かっていると、
同じツアーの音楽家とバッタリ。
この方、近々、ショパンの曲をジャズにアレンジしてコンサート開くため、
ショパンの生まれたポーランドに来られたとか・・・。

クラコフ 聖マリア教会。

欧州最大級の市場広場に面して建つ。
塔の左側の上の方の楕円の窓から、毎時0分にラッパ吹きがラッパを吹く。
敵が来たことを知らせるため、ラッパを吹いていたラッパ吹きが、
タタール兵の弓矢で喉を射られて死んだことに哀悼の意を表してとの事。

ここから迷った。

音楽家と、さっさ、さっさとレストランをめざして歩いていたら、
途中でまったく反対に歩いていることが判明。
見たことがない通りばかり。

しかし、さすがに殿方。
レストランのショップカードを見せてタクシーで行くことに。

レストランの前の道路で、腰に手をあてた鬼軍曹が立っていた。


謝る前に、

「帰ってきてくれたらそれで良い。」

怖かった~。

どうやら、間違えようのない道で迷ったらしいし、
ゆうえいが、突然一人で走り出すという、わがまま気ままな性格であるということを即座に把握され、
要チェック人物1号になったのは間違いない。

とにかく8日間の旅中、関西弁以外はしゃべられないので、
欲しいものをみつけると、

「伊藤さーん。ヘルプ。ヘルプ」と、大声で呼び、
お世話をおかけしました。

ありがとうございました。