ラベル 鷹岡のり子写真展いのちの輝き の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2017/04/02

鷹岡のり子写真展ーいのちの輝きー 終了いたしました。

素晴らしい展覧会でした。
ありがとうございました。
2015年の11月、偶然みかけた鷹岡のり子写真展。
涙が溢れんばかりに感動した。
この機会を逃せば、こちらからの連絡のしようも無い、
なんとかしないと、と。
その時私のギャラリーで開催していたDMを手に
「このようなものです。
是非私のギャラリーで展覧会をして下さい。」と、
お願いしたのが始まりだった。

リーガロイヤルホテルの画廊で観た写真を
私のギャラリーで毎日観た。
同じ出窓で、自然光で、そして銀塩で。
私に向かってくる。
力強い。大声を出しているような気がする。
両方の手を開いたり閉じたりしながら迫ってくる。
怖ろしくてじっと見られないのもあった。


日本経済新聞の報道カメラマンをされていた
櫻屋さんの末松誠さんに褒めていただいた。
凄く褒めていただいた。
もの凄く嬉しかった。



みなさん、カッコイイ!
鷹岡さんは御友人がいっぱい。
素敵な方々ばかりでした。

マダムと息抜き。
少しだけ、ドタアといしているようだけど。
いつもありがとうございます。






可愛い漆芸作家の田中智子さん
かっこいい画廊オーナー



「感動する心を持ち続ける事」これを忘れない。
ホントヤ!ホンマヤ!
ありがとうございました。

2017/03/30

鷹岡のり子写真展ーいのちの輝きー 畑 祥雄氏からの寄稿。




「出窓の光が描く二つの生命(いのち)」

-鷹岡のり子写真作品展に寄せて-


花の美しさと枯れゆく輝きを写し、国境を越えて伝えようとする写真家が日本にいる。その輝きは花の美しい時期だけではなく、枯れゆく中にも気品を漂わせ、視る者に思わず自省をうながし、花の一生の誇り高き矜持を感じさせる。
この眼差しはインスタントな写真術から創られるものではなく、花と同じ宇宙的時間の一瞬を同時代として生きる人間のDNA的な生命の継承をも身近に感じさせる。
それは、老いゆく母を看取りながら、母が育てた庭の花々がリビングの出窓の光の中で奏でる生命の交響詩をカメラに何年にも渡りそっと記録していくことで創られたのが鷹岡の花シリーズの作品である。
写真の約170年の歴史の中で似た眼差しを持っていたのがイギリスのジュリア・マーガレット・カメロンであった。裁判官の妻であった彼女が48歳の誕生日に家族から贈られたカメラで富裕な友人たちのポートレートを撮り始め、写真史に登場する最初の女性の写真家となった。平凡な日常から時代の精神を写し出すアマチュア写真家として職業写真家をしのぐ洞察力こそが写真史に輝いている。
鷹岡の作品を最初に見た時から主婦であり居間の出窓をスタジオにする撮影スタイルはカメロンと重なり、21世紀初頭に最も長寿国になった日本において豊かに生きる穏やかな生をまっとうした鷹岡の母が享受した時代の精神を写し込んでいると感じた。
この花シリーズが国際展にたびたび出品要請を受けたのは、豊かになった国においてこそ見える人間の生の理想的なあり方に世界中で共感を得られたからであろう。その背景には中東で繰り広げられる真逆の生を全うできない残酷な現実が一層に鷹岡作品の存在を際立たせる。
この一連の作品には母からのメッセージと共に、2011年3月の東日本大震災で突然に生命を絶たれた人々の枯れゆく輝きの美しい時間を持てなかった無念の想いも込められている。母と戦災や被災者の真逆の 生命のあり方が鷹岡に作品を創らせる動機になっていたと身近で感じていた。
写真史の中での名言に、公害の水俣病を記録したユージン・スミスがアンセル・アダムズのヨセミテ峡谷の美しい自然風景を記録した写真を評するのに、美しいものに対する深い感動こそが壊される暴挙への強い怒りを呼び起こすと、自然への感動と公害への怒りは表裏の関係であるとの思想を思い出させる。
鷹岡の作品は21世紀初頭に考えさせられる二つの両極にある生命のあり方を見る者に迫ってくる。
美しい花が枯れゆく中にも気品を持ち続けられる豊かさとその向こうには幾多の残酷な生命のあり方までも透視させる問いかけが撮影の背景には秘められていた。



畑 祥雄 
(写真家・映像プロデューサー)
(関西学院大学 総合政策学部 教授)

2017/03/27

鷹岡のり子写真展ーいのちの輝きータイモン・スクリーチからのメッセージ



Message from Timon Screech(タイモン・スクリーチ)

鷹岡のり子は花を被写体とする写真家である。彼女はこのひとつの主題に絞り込んでおり、彼女は植物の開花やその形態に対する深い理解に到達している。ここまでは珍しいことではないかもしれない。しかし鷹岡の作品は非常にユニークな魅力を持っている。彼女は命あるものの老いゆく様子に魅了されているのである。人間と花の老いゆく姿を、互いの中になぞらえているかのようだ。彼女が写し撮るのは、満開に咲き誇る花の美しさではなく、枯れゆく花の姿である。これだけでも非常に興味深い主題であるが、鷹岡はこうした花の中に、人間にとって目を背けることのできない何かを見出そうとしているのだという。つまりそれは、我々人間が老いて最終的に死んでゆく様子なのである。撮影には本物の植物が使われているが、それはどこか擬人化した様相で写されている。この擬人化は、見た瞬間にそうと分かる明白なものではなく、ほんの微かに示唆されているにすぎない。これが鷹岡の探求する主題なのである。だからこそ鷹岡の作品は、国や文化を超えた普遍的なメッセージ性がある。特に、急速に高齢化する社会を抱える日本では、その意味は大きいはずだ。

鷹岡は作品にタイトルを付けず「無題」としている。しかし鑑賞者は、鷹岡が作品の中で何を表現しようとしているかに気付く。鷹岡の作品は全て、この問題に対する芸術的な探求なのである。

Noriko Takaoka takes photographs of flowers. She concentrates on this one subject to the exclusion of all else, and had come to understand deeply the forms and shapes of blooms. This is quite familiar, but Takaoka’s work is highly original and fascinating. Though herself still quite young. Takaoka in fascinated by the aging process of live forces, and by how the aging process can compare between flowers and human beings. She photographs flowers not in their prime, but in conditions of fading and falling. This is interesting in itself, but Takaoka says her flowers are intended to illustrate something even more compelling to human beings, namely how we ourselves age, and how, in the end, we will die. Her flowers are real, but are arranged into anthropomorphic shapes. This is done with subtlety, and is not immediately obvious, but it is the topic that she is keen to explore. The works have universal relevance across national and cultural boundaries, though perhaps with its rapidly aging population, such work has special relevance in Japan.

Takaoka does not give her works titles, but lists them all as “Untitled”. But the viewer is aware of what she is exploring in the works, since all Takaoka’s photographs are an investigations of the same powerful questions.


Timon・Screech:ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院教授 日本近世文化・美術専攻
         1985年オックスフォード大学東洋学専攻卒業、1991年ハーバード大学
         で博士号取得、以降SOAS研究員を経て教授。この間シカゴ大学客員
         教授、学習院大学、早稲田大学で研究員を勤め、多摩美術大学を歴任。

2017/03/26

鷹岡のり子写真展いのちの輝き・・・明日は休廊です。


このゆりの写真はドイツの教会に収蔵されます。
すべての写真が自然光でフィルムで撮られています。

明日は休廊です。
2017年3月28日火曜日のお出ましを
お待ちいしております。

2017/03/25

鷹岡のり子写真展ーいのちの輝きー  ギャラリー内を少し

本も何冊か

美しい女性のお客様


素敵なお着物姿のお客様


2017/03/22

鷹岡のり子写真展ーいのちの輝きー 動画をご覧ください。


鷹岡のり子さんがつくりました。
制作 年永 千
音楽も素敵です。

鷹岡のり子写真展ーいのちの輝き―   コメントです。


いのちの輝き

~花にたくされた母からのおくりもの~

日常の生活のなかにテーマがあることに気付いたのは、リビングの出窓に飾っていた一輪のチューリップの枯れた姿をファインダー越しに見つめると、その姿が、年老いた母の姿と重なり合い、私に語りかけてきたからです。
生きようとする力、生きたい想いは、外見からは判断できないことを、その生命力の凄さを気付かせてくれました。
それからは、出窓のカーテン越しに差し込んで来る光の移り変わりと、その光を受けて表情を変える一輪挿しの花を見つめながら、枯れゆく花一輪、一輪の美しい瞬間を留めておきたくてシャッターを押し続けています。

同じ花でも直ぐに枯れてしまう花もあれば、自分の枯れゆく姿を留めておきたいかのように、長く生きつづける花もあります。被写体を選ぶというよりは、まるで“撮って欲しいよ”と言っているように見えてきます。

枯れゆく花の姿は、人が年を重ねてゆく姿であり、懸命に生きる姿は美しくもあり、年をとることは人を深化させることだと思います。

「Life」シリーズは2007年から“いのち”をテーマに枯れゆく花の姿を、刻々と移り変わる出窓の光を使って撮りつづけています。この作品は3つの要素 
“出窓の光”“老いゆく母”“枯れゆく花”があって初めて作品となったものす。どれ一つ欠けてもこの作品は生まれなかったでしょう。

                                             2017年 3月21日
                                                 鷹岡のり子




2017/03/21

鷹岡のり子写真展 ーいのちの輝きー始まります。

鷹岡のり子写真展 ーいのちの輝きー
本日から始まります。

午後6時からパーティをいたします。
どうぞみなさまおいでくださいませ。