「出窓の光が描く二つの生命(いのち)」
-鷹岡のり子写真作品展に寄せて-
花の美しさと枯れゆく輝きを写し、国境を越えて伝えようとする写真家が日本にいる。その輝きは花の美しい時期だけではなく、枯れゆく中にも気品を漂わせ、視る者に思わず自省をうながし、花の一生の誇り高き矜持を感じさせる。
この眼差しはインスタントな写真術から創られるものではなく、花と同じ宇宙的時間の一瞬を同時代として生きる人間のDNA的な生命の継承をも身近に感じさせる。
それは、老いゆく母を看取りながら、母が育てた庭の花々がリビングの出窓の光の中で奏でる生命の交響詩をカメラに何年にも渡りそっと記録していくことで創られたのが鷹岡の花シリーズの作品である。
写真の約170年の歴史の中で似た眼差しを持っていたのがイギリスのジュリア・マーガレット・カメロンであった。裁判官の妻であった彼女が48歳の誕生日に家族から贈られたカメラで富裕な友人たちのポートレートを撮り始め、写真史に登場する最初の女性の写真家となった。平凡な日常から時代の精神を写し出すアマチュア写真家として職業写真家をしのぐ洞察力こそが写真史に輝いている。
鷹岡の作品を最初に見た時から主婦であり居間の出窓をスタジオにする撮影スタイルはカメロンと重なり、21世紀初頭に最も長寿国になった日本において豊かに生きる穏やかな生をまっとうした鷹岡の母が享受した時代の精神を写し込んでいると感じた。
この花シリーズが国際展にたびたび出品要請を受けたのは、豊かになった国においてこそ見える人間の生の理想的なあり方に世界中で共感を得られたからであろう。その背景には中東で繰り広げられる真逆の生を全うできない残酷な現実が一層に鷹岡作品の存在を際立たせる。
この一連の作品には母からのメッセージと共に、2011年3月の東日本大震災で突然に生命を絶たれた人々の枯れゆく輝きの美しい時間を持てなかった無念の想いも込められている。母と戦災や被災者の真逆の 生命のあり方が鷹岡に作品を創らせる動機になっていたと身近で感じていた。
写真史の中での名言に、公害の水俣病を記録したユージン・スミスがアンセル・アダムズのヨセミテ峡谷の美しい自然風景を記録した写真を評するのに、美しいものに対する深い感動こそが壊される暴挙への強い怒りを呼び起こすと、自然への感動と公害への怒りは表裏の関係であるとの思想を思い出させる。
鷹岡の作品は21世紀初頭に考えさせられる二つの両極にある生命のあり方を見る者に迫ってくる。
美しい花が枯れゆく中にも気品を持ち続けられる豊かさとその向こうには幾多の残酷な生命のあり方までも透視させる問いかけが撮影の背景には秘められていた。
畑 祥雄
(写真家・映像プロデューサー)
(関西学院大学 総合政策学部
教授)