2016/12/16
2016/12/12
2016/12/08
「仁城義勝-漆の器-」展・・・。始まりました。写真家の佐藤信次さんが流石のショット。ありがとうございます。
初日に、ゴロゴロ例のコーヒーセットを持ってやってきてくれました。
素晴らしいショットの数々ありがとうございました。
とってもロマンティックな写真。
仁城義勝さんが見たら照れるだろうな。
色も殆どが「ため」
何の絵もない。
3度しか塗らない為、木目が浮かぶ。
3度の内2度は中国製の漆。
最後の1度は、日本製と中国製が半々。
「どうしてか?」と問うと、
今は日本製の漆をつくる人が少なくなっている。
日本製の漆の伝統を繋げるために使っている。
日本製の漆が高いということで余っている。
現在、中国製の漆の質もほぼ日本製に並んでいる。
価格は中国産のものは安価だが、いずれは同じくらいになるだろう。
昨日、島根の出雲から女性が夜行バスで来てくれた。
昨年、東京に住んでいた時に
仁城義勝さんの椀を見て欲しかったけど高くて買えなかった。
やっと出雲で就職できたので一個なら買える、と思っていたところ、
ちょうど夜行バスが安くなっていたので
探してみたらギャラリー佑英がひっかかったらしい。
仁城さんもゆうえいもどんなに嬉しかったか。
バスの時間ギリギリまで、お椀を2つ持って、どちらにしようか悩んでいた。
良かったね。仁城義勝さんにあえて。
いっぱい語れて。
写真もツーショット、いっぱい撮りました。
仁城さんの展覧会。
日常に使う漆ということで高いけど安い。
毎年同じものを、質も変えず、価格も変えず、ずっと作り続けている。
奥の部屋には定番の椀や皿がたくさん並んでいます。
佑英の椅子のまん前にある。
「美しい、美しい。」と呟いている。
佑英がすぐ、
「アートや!」という。
そしたら、仁城さんは、
「違う。器。」と言われる。
でもね、仁城さん。
毎年、付加をかけず同じものを作り続け、
出雲の女性を温かくもてなされる。そんな
姿を見ていたら、やはり美しい物づくりをされる作家さんですよ。
剥げたら塗りなおしてくれます。
2016/11/28
「仁城義勝-漆の器-」・・・今年も始まります。
今年も12月は仁城さん。
今回はオープニングパーティいたしません。
初日、二日目と仁城さん、在廊いたします。
又、今回私のミスでDMが足りませんでした。
届かなかった皆さま。申し訳ございません。
どうぞ遊びにいらしてください。
お待ちいたしております。
昨年の仁城展のヒトコマです。
2016/11/18
「伊藤祐之展」・・・。法隆寺画廊。
ヴィヴィットなブルー。
伊藤さんの作品の多くを観てきたが初めて。
周りの自然にも調和していた。
入口から左に曲がってこの展示を観た時は驚いた。
素晴らしい調和を感じたのはすぐ。
「計算されている。」
「さすが。」
「美しい。」
ガラスに写る甍も計算?
接点は相変わらず凄い。
座り込んで観る。
お庭も素敵。
以前、このお庭でお茶をした。
画廊を出て法隆寺へ。
近道の駐車場に立派な皇帝ダリヤ。
駐車場のおじさんが撮ってくれた。
法隆寺は何度行っても素晴らしい。
何かほかの言葉がないか頭の中で探してみる。
「ない。」
人がいない。
お釈迦さんも、薬師如来も、百済観音もゆっくり見せていただいた。
お寺の人達が全て良い方達で感動。
法隆寺に出かけるには最高の日だった。
2016/11/11
2016/11/04
2016/11/01
2016/10/28
2016/10/24
2016/10/19
「立嶋滋樹絵画展―端tan―」・・・。始まりました。
端 -tan- 150号
『端 tan』
絵には小山の様なものが見えているが、描いているのは、小山ではなく平らな草むら。
更には、草むらを描くのが目的でもない。
端(tan)というタイトルに込めた思いは、非日常の感覚。
私達は、身体的な制約と同時代的な雰囲気や文化的習慣といった枠の中にいる。
改めて枠の中に居ることに気付かされる機会のひとつが、旅。
日々のサイクルからはみだして、旅行者として見知らぬ街を漂流すると、その街のささやかなモノやコトにも新鮮さを感じ、普段の自分の生活を見返すことになる。
芸術も、意識的にその枠の外に出て新たな輪郭を押し広げる事が出来ると思う。
僕が描く目的は、日常の端をなぞって枠の外への出口を見つける作業。
その境界線を歩いて今の自分の目を疑うこと。
日々の淵への旅の不安さこそが多くの示唆を与えてくれる。
2016年9月 立嶋滋樹
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